あいさつされても返事しません
令和6年3月に税務署窓口に、青色申告承認申請書を提出して、その
控えに税務署職員さんから受領印を押してもらったあと、その人に細長い紙切れを差し出されながら
“ 来年から収受日付印を押さないことになりました ”
といわれました。
令和7年1月から税務署に足を運んで申告書などを提出しても、受け取った職員は、控えの申告書などをこちらが用意して差し出しても、受領印をおさないという驚きの宣言。
あいさつしても返事しません。
代金支払っても、領収書出しません。
スイカかざしてもピッと鳴らしません。
当店では、いらっしゃいませ、ありがとうございましたを廃止しました。
ポンとハンコを押すのがそんなに面倒ですか
そんなセリフも浮かんでくる。
いくら役所でもそれは突飛な発想でしょう。
いままで税務署窓口へ行くという常識からは、”はい、そうですか”と、オイソレとは受け入れられない、面と向かってビンタされたような発表。
税理士事務所にとっても、一昔、いや二昔前は、会社の決算申告の代理で税務署へ出向き、朱色の受領印をもらってくることは、月末の厳粛なセレモニーとなっていたはずだ。
思わず職員さんのまえで えーっ・・・
えっ、ななんでですか!と語気をあらげてしまいました。
詰めよる感じになってしまい、奥からベテランの職員さんも飛び出してきました。
うしろに他のお客様、納税者様もひかえていたので、あまりのショックに体全体フリーズ気味ながらも、おずおずとトーンダウンせざるをえない。
デジタル化推進の一環です
・・・そそーですか。
税務署窓口でもらう受領印は、納税者や会社にとって、いままで大変重要なハンコであり、借金するとき、取引先から信用を得るとき、補助金をもらうとき、その朱色の印影のある書類は、重要な証拠書類となり、半永久保存書類だ。
しかし今電子申告により、受領印の代わりに、白黒の電子記録を受信するだけ、にとってかわりつつある。
電子申告導入当初は、その受信通知(以前は、いまの”受信通知”でなく、”メール詳細”という謎めいたタイトル)をパソコンに受け取れていても、人間の手によって押された朱色の受領印をもらうような手ごたえを感じず、何度か税務署へ電話して本当に受信されているのか問い合わせた。
さらに、当時税務署の内部でも個々の電子申告にすぐ受信できているか確認のラインが未整備で、たいへんやきもきしたものだ。
手書き、手渡し、手応え主義の失墜
デジタル化とは、裏を返せば、手書き、手渡し、紙の記録及び対面による手ごたえへのレジスタンス。
以前、特殊な車関係の会社の経理状況を相談されたとき、それまで担当していた税理士さんが高齢の方で、法人の税務申告書その他の付随書類すべて手書きで作成されていた。
細かい水平線ごとに小さい文字と数字でびっしりの、機械や車がいっぱいの減価償却明細表を4、5ページにわたってみせられたときは、そのあまりにミクロ的手仕事に、東京国立博物館の書画展示を思い出した。
税金計算の明細書というより、計算式や四則演算が正しいかどうかなど検証される次元でなく、歴史的書物として価値があるのではないか。
しからば計算式や計算がところどころ違っていても、歴史的書物に、何の躊躇もなく若造同業者が赤ペンを入れられるだろうか。
ボールペンびっしりの手書きなので、訂正する場合、ほんのちょっと二重線の訂正で目立たない程度のものでもないかぎり、紙1枚全部、場合によっては行が変わったり、集計が変わったりして、そのあとのページ全部書き直しになりかねない。
ぱっとみ、達筆ゆえに内容も正しそうだが、達筆だからといって内容が正しいとは限らない。年配の先生の手計算に、その時々の法改正をいちいち睨みながらアップデイトがなされているか、憚りながら疑いを覚えざるを得ない。
逆に、字がきれいとは言えなかったり、なぐり書きのようであっても、思いのほか内容や計算が正確なこともあるのでなんとも、手書きは混乱を招く。
人それぞれ癖のある手書き文字を読み進めるのは、難儀である。
筆跡から伝わる情念に押さえつけられて、計算まちがってますよ、そもそも手書きは読みにくいのでやめてください、と言いがたい。
総じて手書きされる側にとって、
手書きとは、この時代とてもやっかいなやり方なのだ
これが市販の減価償却のパソコンソフトを利用してプリントしたものであれば、文字数字も見やすいし、計算および計算式自体はメーカー内で検証済みだから信頼でき、また確認して間違いがあればまたパソコンでちょちょっと直せてプリントし直せばいいので、指摘もしやすい。
作成者の、丁寧に時間かけて手書きしている感のプレッシャー、を感じなくて済む。
手渡しの不便さは、宅急便を待っているか、自分が宅急便の配達員だとしたら想像がつくだろう
いつ来るか分からない配達員。
逆に配達員からしたら、受け取り可能時間帯が指定されていても、在宅している保証のない届け先。
安価なもの、全く急いでいないもののなら気楽ではあるが、そのわりきり判断基準も人それぞれだから容易ではない。
手渡しということは基本、人間がふたり対面しなければならない。
だからこそお互いに同時かつ確実に受け渡しの手応えを感じるのだが。
宅急便がいつ来るかわからないので、トイレ行きたくてもいけない。
大事な電話が来ている間に来たら、電話中断できない。
せっかちな配達員さんだと、すぐ玄関行かないと、露骨にいやな顔をされるので、気を抜いて待ってられない、落ち着かない。
大きいマンションで、個別のドアまでセキュリティが手厚く、距離が遠い届け先。
時間帯を指定しているのに、その時間に平気で不在の届け先。
呼び鈴押して、返事があってからも、なかなか出てこない届け先。
やっとここまできたのに渡せず持ってかえって、再配達のため、他の配達員へ積み荷の詰替え作業だ。
配達員も楽でないことは想像にかたくない。
紙で出された記録を、保管する立場に立ってみてください。
紙保存は知らず知らずに書庫いっぱい、部屋いっぱい、段ボールいっぱい、倉庫いっぱいになる。
整理して保存するには、郊外の量販店みたいに、スペースに余裕が必要。そうでないと、足の踏み場もなくなる。
結局しまっておくためだけの多額の予算、維持費、設備投資が必要だ。
古いものはスキャンして電子データに移行すればいいではないか、という声が聞こえそうですが、初めから電子データで出してもらえば、手間はかかりません。
(電子データのセキュリティの問題は大きいですが。)
はたしてデジタル化の推進
コロナ禍を経て、対面、手応え信仰も色あせてひさしい。
なるほど、そうゆうことか。
税務署窓口で、受領印おさない理由も、しぶしぶ、ぎりぎり、ちょっぴりわかりましたが、せめて、こころの準備期間もらって、押さない宣言から2、3年後から押さないことにしてほしい。
*案の定、反対の声も大きくなり、当分の間、実質控えとなるリーフレットを希望する提出者に配布することで、とりあえずは、クッションを置くようだ。